【苔玉に寄せて】Vol.44~苔玉空間に思いを馳せて

苔玉空間に思いを馳せて
 多くの種類の植物を苔玉に仕立て、自宅で育て楽しんでおります。
新たな植物を苔玉に仕立て上げる度に、さて、この植物は室内の何処に置いて楽しもうかと、思い悩むことしばしばです。苔玉もさることながら、鉢植え植物を手にする度にこの悩みは尽きませんでした。
 
 居間のテーブルの上に置こうか、下駄箱の上にしようか、それとも応接テーブルに飾ろうかと、あるいはパソコンデスクの一端に置いて楽しもうかなどと、半分楽しみながら、植物の性質も考慮に入れつつ、生活空間の何処に置いたものやらと悩んでおります。
 
 
 
 煎じ詰めると、植物の生育を第一と捉えての置き場所の剪定であるか、はたまた、その植物を選んできた人間の生活を主体として置き場所を決めるのか、この二点に絞られます。
 
 植物の為に主体を置くのならば、日当たりがいいのか、日陰がいいのか、風通しはどうなのか、乾燥度合いは如何かなどの、自然科学による判断を的確に捉えることに落ち着きます。
 
 植物たちを、私の生活の中にどのように位置付けていったらいいのかに思いを致せば、難問山積です。部屋の片隅に空いた空間を埋めるために植物を置くことに始まった室内園芸でした。そうではない、植物たちとともに毎日の生活空間を共有するのだ、なんて高邁な理想を掲げて植物の葉位置に思いを巡らすこともあります。
 
 
 たかが手のひらに乗る小さな苔玉に過ぎません。でも、小さな苔玉の命ある姿を見つめていると、ただ単にそこに隙間があるから置くのだ、であっては共に生きる苔とそこに育つ植物に申し訳ない思いに駆られてきます。
 
 かつて、とある大手建築設計事務所と、室内に植物を導入することの意味は何処にあるのだろうと論議を重ねたことがありました。忙しさに追いまくられてしまい、必要最小限の生活空間で生きていくことの精神上の惨めさに思い至ったことでした。隙間を埋めるだけの観葉植物では、どこか本質を外れているということに気付かされたことでした。敢えて言えば、生き方のセンスを問われているのかもしれません。
 
 小さな苔玉空間をじっと眺めて、植物たちの生い茂る爽やかな空間で毎日の生活をしたいなどと、新たな夢を描いています。

 

執筆者紹介 –  S.Miyauchiさん

日本農業園芸造園研究所代表。農業・園芸・造園について30年以上の業務・指導に務める。つくば市在住。 つくばの松見公園をはじめ、数々の有名庭園の設計に携わる。現在は全国各地で苔玉教室などを開催し、誰もが楽しく園芸に触れることができる活動を展開している。

 コラム「苔玉に寄せて」は毎月第2土曜日に掲載予定です。

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