毎年のことだが、晩秋になると私の部屋には続々と同居人が増えてくる。亜熱帯から熱帯を故郷とする「苔玉」仕立ての植物たちだ。アンスリューム、ガジュマル、カランコエ、タニワタリ、パキラ、ヤシ類等の苔玉たち、また天井からはオリヅルラン、ネオレゲリア、コウモリラン、サクララン、ポトス、ヘデラ、等の吊仕立ての苔玉たちが、部屋を占拠し始めるのだ。
寒風吹きすさぶ外界とは別天地、ガラス戸越しの陽だまりの中で心地よさそうに新年を過ごす植物たち、部屋主の私も心温まり嬉しくなってくる。
苔玉仕立ての植物たち以上に我が物顔で部屋を塞いでいるのは、鉢仕立ての亜熱帯から熱帯生まれの植物たちだ。最も場所を塞いでいるのは、尺鉢に入った高さ1.5メートルにもなる「月下美人」である。真夏から初秋の夕方から深夜に掛けて、大輪白色の花を20余輪咲かせて楽しませてくれた月下の美人だ。
寒い今は多肉の葉っぱだけが、部屋のかなりの面積を占拠している。
挿し木で増え子孫繁栄したサンスベリアは、天上間近の棚上に平然と並んでいる。また、机上には、水蘚に包んだウォーター・カルチャーのヒヤシンス、クロッカスが花芽を萌芽している。
彼らと同居すると、その面倒をみなければならない。自力歩行の出来ない植物たちだ、日昼は日当たりのよい窓辺に置き、夜間には室内の暖かい場所に移動したり、水を遣ったり風を透してやったりだ。冬季には殆ど施肥の必要はないが、それでも何某かの植物活力剤は必要だ。
「苔玉」仕立ての植物の場合、苔部分にも最低限の陽射しが必要だ。陽射しのないまま放置・育てると、緑色の苔は茶褐色化して枯れてしまう。天井間近のサンスベリアには、水遣りは絶対禁物だ。植物たちと同居することは、何と気苦労し、手が掛かることだろう。
私の生活空間のなかで、同居する植物たちは一生懸命に生きようとしている。彼らを単に鑑賞するだけの置物と捉えるか、あるいは、この同一空間に共生する生命体とみなすのか、室内に植物が溢れる冬毎に考えてしまう。単に部屋の飾りとして、隙間空間に「植物」たちを置くだけという発想では、植物たちに申し訳ないし、余りにも切ない。
室内で植物たちと「共生」していると言うと、ちょっと大げさに聞こえるかもしません。でも、精いっぱい生命を維持している植物たちです。せめて、「同一生活空間で彼らとともに生きているんだ」という認識を持たなければと、寒い冬毎に、狭い部屋で考えています。70余年の長き年月を、植物たちと過ごしてきました。新年に当たり、あらためて「苔玉君、有難う。これからも宜しくお願いします。」です。
日本農業園芸造園研究所代表。農業・園芸・造園について30年以上の業務・指導に務める。つくば市在住。
つくばの松見公園をはじめ、数々の有名庭園の設計に携わる。現在は全国各地で苔玉教室などを開催し、誰もが楽しく園芸に触れることができる活動を展開している。
コラム「苔玉に寄せて」は毎月第2土曜日に掲載予定です。
学齢期前3~5歳の頃、私は長崎港を一望するオランダ坂を上り詰めた辺りに育ちました。
石畳の通りを挟んで下段の洋館を、駐留米軍が接収、米軍将校一家が居住しており、そこに私と同じ齢の少女がおりました。
金髪の幼馴染、彼女の家に遊びに行くことは私にとって最大の楽しみであり、日課となっていました。戦後間もない物資不足の私たち日本人の生活の中で、三時のおやつタイムの甘いクッキーやホットケーキは、夢のようなライフスタイルでした。しかも素晴らしいシャンデリアの下、テーブルに向かってサンルームでのデイト?・・・おやつタイムは「色気」抜き、ただひたすら「食い気」のみ。サンルーム室内花壇には艶やかにベゴニア・センパーフローレンス咲き、港を一望する庭先にはパンジー、デージーが咲き乱れていました。
それに引き換え庭先百余坪に小汚い菜っ葉、芋の類の我家の庭先でした。食糧難の時世を理解できない幼少の私には、不満と疑問ばかりでした。「いつの日にか、花咲き乱れる彼女の家のような生活をしたい、それ以上に、甘いホットケーキを自分家で腹いっぱい食べたい」4~5歳の強烈な、食欲に起因した私の思い出。それはまた、私が園芸学を志すに至るファクターとなったのでした。
今日、私の幼い頃の願望を実現することは、誠に簡単です。ベゴニアもパンジーも、容易に入手できる時代です。でも、今はそんな華やかな花達には少々飽きてしまっています。そして、オランダ坂の上り口辺りの岩肌に張り付いていた苔のことが、不思議と思い出されます。岩肌に張り付き密かに生きていた濃緑の苔が、幼い眼差しに焼き付いていたんです。
幼い日に眼に焼き付いた、赤や黄色の艶やかな花達を決して否定するのではありません。
でも、微かに記憶の片隅に残っていた細やかな苔のことが、蘇ってくるのです。明治以降の時代、そして戦後の苦しい時代、欧米先進国の生活レベルに憧れ、追いつき追い越せと、ひた走ってきた私たちでした。そんな焦燥感に苛まれた生き方の中で、私たちは如何程の汗してきたことでしょう。
眼の前にある緑の苔玉に、己の生き様の真底を見透かされているようで、「ガツガツして生きるばかりでは、しょうがないだろう。しっかり足元を見よ」と、語り掛けてくれているように思う此の頃です。「苔」に心癒されながら、そんな気がしてなりません。
日本農業園芸造園研究所代表。農業・園芸・造園について30年以上の業務・指導に務める。つくば市在住。
つくばの松見公園をはじめ、数々の有名庭園の設計に携わる。現在は全国各地で苔玉教室などを開催し、誰もが楽しく園芸に触れることができる活動を展開している。
コラム「苔玉に寄せて」は毎月第2土曜日に掲載予定です。
苔玉作りに私が初めてチャレンジして、30余年が過ぎてしまいました。
この間に概ね一千余種の植物を苔玉に仕立ててきました。ツバキ等の常緑樹木、ケヤキ等の落葉樹木、ツワブキ等の多年生和物草花、山野草類、観葉植物類、ミニバラ等の洋種花木類、コチョウランを代表とする洋ラン類、各種の多肉植物類等々、多岐にわたる植物たちを苔玉に仕立ててきました。
職務柄、全国を出張旅行することが多い日々の生活の中で、自室で多種の植物たちと対峙し新たな姿や成長の様子を見る喜びは、新鮮な命と心湧きたってまいります。写真に見て頂くように、誠に狭い自宅のアトリエにこもって、植物たちを観察し、苔玉に仕立てていくと、ついつい時間の経つのも忘れてしまい、翌朝の日の出の時間になってしまうこと、しばしばです。ひょっとすると、ある種「植物オタク」に陥っているのかもしれません。
植物生命体は、大地に根を張ってすくすく成長させるのが、本来の姿です。だのに、敢えて狭小な苔玉台地に植物たちを押し込めてしまう訳です、植物にとっては迷惑千万なことでしょう。でも、植物たちは黙って私たち人間の言いなりの姿で我慢し耐えてくれる・・・・・苔玉に限らず、鉢植えも庭植えも、それが植物たちの宿命、敢えて言えば、「プラスチック製の鉢に閉じ込められなかっただけ、幸せ」かもしれません。
誠に狭い集合住宅の2階にある私のアトリエです、寒さ極まる冬期間は、植物の移動が大変な作業になります。午前中から夕刻に掛けては太陽光線を浴びさせるべく、ベランダに出し、夜は寒さに弱い植物から順に室内の出来るだけ高い棚の位置に取り込む。室温が僅かに1℃低下するだけで、植物によっては地表に近い根際部分から凍結し枯れてしまうからです。
そんなこんなの理由から、大きめに育った植物から順に、お友達、近隣の皆様にプレゼント、残した小さめの植物たちを仕立て育てるというローテーションを楽しむという次第。結果、多くの皆様方に喜んで頂いております。
これからも、更に多くの植物たちを苔玉に仕立て続けていきたいと、夢を膨らましております。
日本農業園芸造園研究所代表。農業・園芸・造園について30年以上の業務・指導に務める。つくば市在住。
つくばの松見公園をはじめ、数々の有名庭園の設計に携わる。現在は全国各地で苔玉教室などを開催し、誰もが楽しく園芸に触れることができる活動を展開している。
コラム「苔玉に寄せて」は毎月第2土曜日に掲載予定です。
苔玉を室内で鑑賞するには、いろいろな方法がある。最も一般的な方法は、平たい皿状の容器にのせて鑑賞する。でも、写真に示すオリズルランのように枝葉の垂れ下がる植物を鑑賞するには平たい皿にのせたのでは、面白みがない。この場合、ハンギング(吊苔玉)に加工したり、写真のように背丈の高い台の上にのせて鑑賞する。写真は、真鍮製の骨董花瓶の上に皿を載せて、そこから枝葉を垂れ下げて鑑賞している。
次に示す写真は、生花用の水盤を利用して、3個の苔玉を楽しんでいる。水盤の底部分に水分をたっぷり含ませたハイドロカルチャー用のカルチャー・ボールを敷きこみ、その上に苔玉を配置している。この方法だと、一つの容器で数種類の植物を楽しめる。写真ではガジュマルを「主」として、シルクジャスミンを「客」、テーブルヤシを「控」の3種類の植物で、景観を作ってみた。
手元に色々な苔玉を大小様々持って、春夏秋冬、四季折々の変化を、好みに応じて楽しむことができる。春は萌芽・開花、夏は涼しげな緑、秋は果実、冬は枯淡の美と、好みの植物で楽しむことができる。生花四季折々をイメージする、ほんの身近なミニ庭園を思い描く等、自由にレイアウト、楽しむことができる。
写真では水盤底にハイドロ・ボールを敷きこんだが、オーキッド・バークを敷きこんで山林の状況を楽しんだり、また、お正月バージョンとして白川砂を敷き込み、濃緑の苔と白い砂床を楽しむのもいいものである。
夏のバージョンとして、水盤いっぱいに水を張り、水面よりほんの少し高めの輪切り木炭を3個程度水面に立て、その上に苔玉をのせる・・・広い水面に苔玉の島が描ける。水面に浮かぶ大・中・小の緑の島々・・・浅い水底にはメダカ等を泳がせ、更に涼しく、夏を楽しむことができる。
水中に立つ輪切り木炭片は、水の浄化を促し、更に毛管現象で苔玉に適度の水分を補給してくれる。夏の乾燥から、苔玉を守ってくれる、一石二鳥の夏の苔玉鑑賞の方法になる。
数年前のことだが、苔玉を使い、これ等の方法を駆使して、ほんの一坪のミニ庭園を京都市で展示したことがある。デパートの一角での庭のイヴェントに苔玉が異彩を放ってくれた。
小さな皿の上の1個の苔玉に始まって、室内やベランダ園芸等の一つの方法として、また一寸した家庭やオフィスでのイヴェント空間として、苔玉を楽しく発展させて頂ければと思い描いております。
日本農業園芸造園研究所代表。農業・園芸・造園について30年以上の業務・指導に務める。つくば市在住。
つくばの松見公園をはじめ、数々の有名庭園の設計に携わる。現在は全国各地で苔玉教室などを開催し、誰もが楽しく園芸に触れることができる活動を展開している。
コラム「苔玉に寄せて」は毎月第2土曜日に掲載予定です。
苔玉を通して列島あちこちで多くの方々とお会いします。
「苔を見ていると心から癒されますネェ」と、語り掛けてもらい、嬉しくなってしまうこと、しばしばです。毎日何らかの形で苔に触れている私も、日々異なる感慨を苔に抱き癒されていること、正直なところです。
園芸専門店やホームセンターの園芸売り場を覗くと、植物を育てるための容器には、陶製、ガラス製、木製、石製、プラスチック製など、多くのものが用意されています。でも、植物の根元をみずみずしく緑なす苔で覆い包んだだけの「苔玉」に惹かれ心癒されている、こうしてパソコンデスクに向かっている時間も、傍らのケヤキの苔玉にほっと安堵しております。根元をしっかりと植え付け容器に覆い包み込まれ荷崩れの心配のない鉢植えの植物に比べると、まことに簡単に根元が荷崩れしてしまいそうな頼りがいのない形状の苔玉に癒されている、何とも矛盾する心の有様です。
戦後間もない幼い4~5歳の頃、上海から引き揚げ長崎・オランダ坂の傍で育った私でした。食糧難故に庭先にイモ、野菜類の育てられていた貧乏生活の中で、溢れんばかりの華やかな花々に彩られた庭先を夢見た幼年期でした。6才になった頃に赤いチューリップの球根を1個買ってもらい、開花を楽しみに母と植え付けしたこと、忘れられません。また、僅かばかりのお小遣いを貯めて1本のバラの苗を購入し、黄色花を咲かせた喜びは忘れられない思い出です。
曲がりなりにも平和な今日、チューリップの100個や200個植え付けること、バラの10本や20本開花させることなど、意図も簡単なことだと思います。でも、パソコンの前で、細やかに小さなケヤキの苔玉に癒されています。決して、幼き頃から70余年を過ぎてしまった老人故に、チューリップやバラを諦めた訳ではありません。
私たちの生活環境に、陶製やプラスチック製の園芸容器が有り余る程に行渡っている、だから細やかなケヤキの苔玉一つに心和んでいるようです。そして庭先には、ナス、キウリ、トマト、ピーマンなどの野菜やら、ウメ、カキ、イチジク、ブドウなどの果樹を植え付けて、家族とともに収穫の喜びを噛みしめたい、苔玉に癒されながら、幼い日々を思い出しそんなことに思いを致しております。
日本農業園芸造園研究所代表。農業・園芸・造園について30年以上の業務・指導に務める。つくば市在住。
つくばの松見公園をはじめ、数々の有名庭園の設計に携わる。現在は全国各地で苔玉教室などを開催し、誰もが楽しく園芸に触れることができる活動を展開している。
コラム「苔玉に寄せて」は毎月第2土曜日に掲載予定です。