桜は日本の国花として、私たち日本人に愛され馴染み深い植物です。3月~4月にかけて咲き誇る桜花の下で、「花見」する風流心は、私たちの心の年中行事に組み込まれています。桜花爛漫の下で酒を酌み交わし、花見弁当を楽しむ「花見桜」は、樹高3m以上から数10mの大木の下です。豊臣秀吉が生涯に京都の醍醐寺と奈良の吉野山で二度にわたり豪華絢爛な大花見を行ったことでも良く知られている桜は「ヤマザクラ」でした。
現在の桜の名所で主に植えられている桜は「染井吉野」という品種です。「染井吉野」という品種は、江戸時代末期に江戸染井地区(今の駒込付近)の某植木屋が上野公園等に植え付けたのが始まりと言われています。「染井吉野」は葉が出る前に花が樹幹いっぱいに咲く艶やかさから、特に明治以降各所に植えられるようになったのでした。日米交流の象徴として、米国の首都ワシントンのポトマック河畔の桜並木は、1世紀以上前に東京市から贈られたもので、その後の日米関係の激動も乗り越え、毎年、見事な花を咲かせていること、周知のごとくであります。
そんなことから、「サクラの苔玉」がずっと以前から人気を博して来たようです。ところで、苔玉仕立で楽しむ桜花は、15~30㎝程度の極めて低い樹高で楽しみます。同じ「桜」ではありますが、お花見する染井吉野桜と、苔玉に仕立てて楽しむ桜とは、品種が大きく異なります。苔玉などの園芸では、幼木の内に開花させる必要があります。なんの植物に依らず、幼木の頃から開花・結実する植物品種群を「一歳もの」といいます。一歳桜を選んで苔玉に仕立てる、ということです。具体的には「富士桜」「八房富士桜」等の系統が苔玉等、小品盆栽に用いられています。
明治以降、その艶やかさ故に国威発揚のスローガンの下、大量に植え付けられてきた「染井吉野」桜は、天狗巣病、根頭癌腫病等の病害に弱く、寿命50~60年程度とされています。そのために、50~60年程度で花見桜の名所が移動・変遷しております。心ある専門家の間で、「果たして染井吉野だけでいいのだろうか?」という疑問、そして問題点が提起されつつあります。桜の苔玉を見ながら、心の片隅に100年の歴史の中の桜を考えなければと思います。
日本農業園芸造園研究所代表。農業・園芸・造園について30年以上の業務・指導に務める。つくば市在住。
つくばの松見公園をはじめ、数々の有名庭園の設計に携わる。現在は全国各地で苔玉教室などを開催し、誰もが楽しく園芸に触れることができる活動を展開している。
コラム「苔玉に寄せて」は毎月第2土曜日に掲載予定です。
「苔は日陰の植物で、太陽光は不要だ」という認識が、一般的にあるようです。だから、「苔玉は太陽光のあたらない日陰で育てるもの」と、誤まった認識をお持ちの方たちに出会うこと、しばしばです。
苔の生育にも、太陽光線は絶対に欠かせません。苔は体内にクロロフィル(葉緑素)を含有しているからこそ、緑色を呈しています。クロロフィル(Chlorophyll)は、光合成の明反応で光エネルギーを吸収する役割をもつ化学物質なんです。苔も一般の植物と同様に、光エネルギーを使って水と空気中の二酸化炭素から炭水化物(糖類:例えばショ糖やデンプン)を合成して、苔本体を作り維持しているのです。更に苔が生きていくためには、水分も絶対必要になることは、周知の事実です。
「水」に関しては、「空中湿度が程々の状態であること」が求められます。水中にドップリと浸けたままでは、苔は生きることが出来ません、腐ってしまいます。
苔玉を取り扱っていますと、「水」に関してはよく理解され過ぎていて、過剰な水遣り傾向にあります。「光」に関しては理解不足で、日陰で育てて苔を駄目にしてしまう傾向がみられます。
よく見かける2~3の失敗事例をご紹介します。室内に長期間置きっ放しにされた苔玉の苔部分が、黒く変色してしまったモノを見かけること、しばしばです。これは、太陽光不足の故に葉緑素がダメージを受け、更に、過剰水分の故に苔が腐ってしまった状態です。
エアコンの効いた室内の苔玉で、苔部分は辛うじて薄緑色を維持しているが、苔部分はカサカサに乾燥しているモノ。これはエアコン効果で空中湿度が低下、苔は枯れる寸前にあります。この場合は、適度な水分補給で元に戻すことが出来るでしょう。
「水は毎日補給しているのに、苔玉が元気でない」と、耳にすることがあります。よくよく聞いてみると苔部分に霧吹きだけやっているとのこと。これは、丸い苔玉の芯部分に水が行渡っていないということです。バケツなどのたっぷりの水に苔部分を浸して、苔の芯部分まで十分に水を供給しなければなりません。
水を十分に供給するためにと、苔玉の受け皿に常時水を張って、苔玉が乾燥しないようにする、これも駄目です。苔が腐ってしまいます。
苔玉が順調に生育するようにと、水遣りとともに「水肥」を施用する、これも絶対禁止です。苔は自然界では、殆ど肥料気のないところに生育しています。肥料をやると苔は全滅してしまいます。それでも、苔玉上部の植物に施肥したい。私は、ごく薄い液肥を苔面に触れないように、苔玉底部から注射器で少しずつ注入する方法をとっています。肥料とは違う各種の「植物活力剤」を極薄め施用することは、やぶさかではありません。苔の生育にもいい結果をもたらしてくれます。
ことほど左様に、「水」と「光」が程よく供給されて、初めて苔は生命を維持し、順調に生育し続けます。
日本農業園芸造園研究所代表。農業・園芸・造園について30年以上の業務・指導に務める。つくば市在住。
つくばの松見公園をはじめ、数々の有名庭園の設計に携わる。現在は全国各地で苔玉教室などを開催し、誰もが楽しく園芸に触れることができる活動を展開している。
コラム「苔玉に寄せて」は毎月第2土曜日に掲載予定です。
毎年のことだが、晩秋になると私の部屋には続々と同居人が増えてくる。亜熱帯から熱帯を故郷とする「苔玉」仕立ての植物たちだ。アンスリューム、ガジュマル、カランコエ、タニワタリ、パキラ、ヤシ類等の苔玉たち、また天井からはオリヅルラン、ネオレゲリア、コウモリラン、サクララン、ポトス、ヘデラ、等の吊仕立ての苔玉たちが、部屋を占拠し始めるのだ。
寒風吹きすさぶ外界とは別天地、ガラス戸越しの陽だまりの中で心地よさそうに新年を過ごす植物たち、部屋主の私も心温まり嬉しくなってくる。
苔玉仕立ての植物たち以上に我が物顔で部屋を塞いでいるのは、鉢仕立ての亜熱帯から熱帯生まれの植物たちだ。最も場所を塞いでいるのは、尺鉢に入った高さ1.5メートルにもなる「月下美人」である。真夏から初秋の夕方から深夜に掛けて、大輪白色の花を20余輪咲かせて楽しませてくれた月下の美人だ。
寒い今は多肉の葉っぱだけが、部屋のかなりの面積を占拠している。
挿し木で増え子孫繁栄したサンスベリアは、天上間近の棚上に平然と並んでいる。また、机上には、水蘚に包んだウォーター・カルチャーのヒヤシンス、クロッカスが花芽を萌芽している。
彼らと同居すると、その面倒をみなければならない。自力歩行の出来ない植物たちだ、日昼は日当たりのよい窓辺に置き、夜間には室内の暖かい場所に移動したり、水を遣ったり風を透してやったりだ。冬季には殆ど施肥の必要はないが、それでも何某かの植物活力剤は必要だ。
「苔玉」仕立ての植物の場合、苔部分にも最低限の陽射しが必要だ。陽射しのないまま放置・育てると、緑色の苔は茶褐色化して枯れてしまう。天井間近のサンスベリアには、水遣りは絶対禁物だ。植物たちと同居することは、何と気苦労し、手が掛かることだろう。
私の生活空間のなかで、同居する植物たちは一生懸命に生きようとしている。彼らを単に鑑賞するだけの置物と捉えるか、あるいは、この同一空間に共生する生命体とみなすのか、室内に植物が溢れる冬毎に考えてしまう。単に部屋の飾りとして、隙間空間に「植物」たちを置くだけという発想では、植物たちに申し訳ないし、余りにも切ない。
室内で植物たちと「共生」していると言うと、ちょっと大げさに聞こえるかもしません。でも、精いっぱい生命を維持している植物たちです。せめて、「同一生活空間で彼らとともに生きているんだ」という認識を持たなければと、寒い冬毎に、狭い部屋で考えています。70余年の長き年月を、植物たちと過ごしてきました。新年に当たり、あらためて「苔玉君、有難う。これからも宜しくお願いします。」です。
日本農業園芸造園研究所代表。農業・園芸・造園について30年以上の業務・指導に務める。つくば市在住。
つくばの松見公園をはじめ、数々の有名庭園の設計に携わる。現在は全国各地で苔玉教室などを開催し、誰もが楽しく園芸に触れることができる活動を展開している。
コラム「苔玉に寄せて」は毎月第2土曜日に掲載予定です。
学齢期前3~5歳の頃、私は長崎港を一望するオランダ坂を上り詰めた辺りに育ちました。
石畳の通りを挟んで下段の洋館を、駐留米軍が接収、米軍将校一家が居住しており、そこに私と同じ齢の少女がおりました。
金髪の幼馴染、彼女の家に遊びに行くことは私にとって最大の楽しみであり、日課となっていました。戦後間もない物資不足の私たち日本人の生活の中で、三時のおやつタイムの甘いクッキーやホットケーキは、夢のようなライフスタイルでした。しかも素晴らしいシャンデリアの下、テーブルに向かってサンルームでのデイト?・・・おやつタイムは「色気」抜き、ただひたすら「食い気」のみ。サンルーム室内花壇には艶やかにベゴニア・センパーフローレンス咲き、港を一望する庭先にはパンジー、デージーが咲き乱れていました。
それに引き換え庭先百余坪に小汚い菜っ葉、芋の類の我家の庭先でした。食糧難の時世を理解できない幼少の私には、不満と疑問ばかりでした。「いつの日にか、花咲き乱れる彼女の家のような生活をしたい、それ以上に、甘いホットケーキを自分家で腹いっぱい食べたい」4~5歳の強烈な、食欲に起因した私の思い出。それはまた、私が園芸学を志すに至るファクターとなったのでした。
今日、私の幼い頃の願望を実現することは、誠に簡単です。ベゴニアもパンジーも、容易に入手できる時代です。でも、今はそんな華やかな花達には少々飽きてしまっています。そして、オランダ坂の上り口辺りの岩肌に張り付いていた苔のことが、不思議と思い出されます。岩肌に張り付き密かに生きていた濃緑の苔が、幼い眼差しに焼き付いていたんです。
幼い日に眼に焼き付いた、赤や黄色の艶やかな花達を決して否定するのではありません。
でも、微かに記憶の片隅に残っていた細やかな苔のことが、蘇ってくるのです。明治以降の時代、そして戦後の苦しい時代、欧米先進国の生活レベルに憧れ、追いつき追い越せと、ひた走ってきた私たちでした。そんな焦燥感に苛まれた生き方の中で、私たちは如何程の汗してきたことでしょう。
眼の前にある緑の苔玉に、己の生き様の真底を見透かされているようで、「ガツガツして生きるばかりでは、しょうがないだろう。しっかり足元を見よ」と、語り掛けてくれているように思う此の頃です。「苔」に心癒されながら、そんな気がしてなりません。
日本農業園芸造園研究所代表。農業・園芸・造園について30年以上の業務・指導に務める。つくば市在住。
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苔玉作りに私が初めてチャレンジして、30余年が過ぎてしまいました。
この間に概ね一千余種の植物を苔玉に仕立ててきました。ツバキ等の常緑樹木、ケヤキ等の落葉樹木、ツワブキ等の多年生和物草花、山野草類、観葉植物類、ミニバラ等の洋種花木類、コチョウランを代表とする洋ラン類、各種の多肉植物類等々、多岐にわたる植物たちを苔玉に仕立ててきました。
職務柄、全国を出張旅行することが多い日々の生活の中で、自室で多種の植物たちと対峙し新たな姿や成長の様子を見る喜びは、新鮮な命と心湧きたってまいります。写真に見て頂くように、誠に狭い自宅のアトリエにこもって、植物たちを観察し、苔玉に仕立てていくと、ついつい時間の経つのも忘れてしまい、翌朝の日の出の時間になってしまうこと、しばしばです。ひょっとすると、ある種「植物オタク」に陥っているのかもしれません。
植物生命体は、大地に根を張ってすくすく成長させるのが、本来の姿です。だのに、敢えて狭小な苔玉台地に植物たちを押し込めてしまう訳です、植物にとっては迷惑千万なことでしょう。でも、植物たちは黙って私たち人間の言いなりの姿で我慢し耐えてくれる・・・・・苔玉に限らず、鉢植えも庭植えも、それが植物たちの宿命、敢えて言えば、「プラスチック製の鉢に閉じ込められなかっただけ、幸せ」かもしれません。
誠に狭い集合住宅の2階にある私のアトリエです、寒さ極まる冬期間は、植物の移動が大変な作業になります。午前中から夕刻に掛けては太陽光線を浴びさせるべく、ベランダに出し、夜は寒さに弱い植物から順に室内の出来るだけ高い棚の位置に取り込む。室温が僅かに1℃低下するだけで、植物によっては地表に近い根際部分から凍結し枯れてしまうからです。
そんなこんなの理由から、大きめに育った植物から順に、お友達、近隣の皆様にプレゼント、残した小さめの植物たちを仕立て育てるというローテーションを楽しむという次第。結果、多くの皆様方に喜んで頂いております。
これからも、更に多くの植物たちを苔玉に仕立て続けていきたいと、夢を膨らましております。
日本農業園芸造園研究所代表。農業・園芸・造園について30年以上の業務・指導に務める。つくば市在住。
つくばの松見公園をはじめ、数々の有名庭園の設計に携わる。現在は全国各地で苔玉教室などを開催し、誰もが楽しく園芸に触れることができる活動を展開している。
コラム「苔玉に寄せて」は毎月第2土曜日に掲載予定です。